ランドール・カリート・サイモン(Randall Carlito Simon, 1975年5月25日 - )は、オランダ領アンティルのキュラソー島ウィレムスタッド出身の元プロ野球選手(内野手)。
経歴
1992年にアトランタ・ブレーブスに入団した。
1997年9月1日に、メジャーデビューを果たした。
1999年には90試合に出場し、規定打席未満ながら打率3割台を記録する。
2000年3月31日、ブレーブスを自由契約となる。フロリダ・マーリンズ、ニューヨーク・ヤンキースと2球団を移り渡ったが、この年はメジャーリーグでの出場はなかった。そして12月、デトロイト・タイガースと契約する。
タイガースでは、2001年、2002年と続けて3割以上の打率を残す。特に2002年は規定打席にも達し、主力選手として活躍したが、この年の12月、サイモンとエイドリアン・バーンサイド、ロベルト・ノーボーによる1対2のトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍。
2003年7月9日、遠征先のミラー・パークの名物、ソーセージ・レース(出場者がソーセージの着ぐるみを着てレースをする)の際に、サイモンは、出場者の女性をバットで小突いて転倒させ、足に怪我を負わせた。試合後、警察に逮捕され、432ドルの罰金を払うという事件を起こしている。また同年8月17日、レイ・サドラーとのトレードでシカゴ・カブスに移籍。シーズンオフにカブスから解雇されるが、再びパイレーツと契約する。
しかし迎えた2004年は、打率1割台と低迷。8月17日にパイレーツを自由契約となる。翌日にタンパベイ・デビルレイズと契約するも、結果を残せず、1ヶ月も満たないうちに解雇される。
2005年は、当初メキシカンリーグでプレーしていたがかつての実績を評価された形で6月にオリックス・バファローズに入団。オリックスでは、主砲として期待が大きかったクリフ・ブランボー、カリーム・ガルシアが、シーズン序盤に成績を残せていなかった事情もあり、当初は4番打者として期待されるも、不振に終わる。最終的に結果を残したブランボー、ガルシアが翌年もオリックスに残留したのに対し、サイモンはチームを退団する。
オリックス退団後は、メキシカンリーグや独立リーグでプレー。
2006年開幕前の3月に、この年から開催される事となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出された。
2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのオランダ代表に選出され2大会連続2度目の選出を果たした。大会では、ドミニカ共和国に2度勝利する番狂わせを起こし、2次ラウンドへ進出したチームのまとめ役となった。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
- 33 (1997年 - 1998年)
- 15 (1999年)
- 35 (2001年 - 2004年)
- 8 (2005年)
- 12 (2006年)
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・オランダ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・オランダ代表
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 S
- キュラソー出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#キュラソー
- オリックス・バファローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 サイモン - NPB.jp 日本野球機構




