ハンク・ギャザーズHank Gathers)ことエリック・ウィルソン・ギャザーズ・ジュニアEric Wilson Gathers Jr.、1967年2月11日 - 1990年3月4日)は、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の元バスケットボール選手。NCAAのロヨラ・メリーマウント大学でプレーしていた。1990年のNBAドラフトでの全体1位指名が有力視されていたが、心臓発作によりドラフト前に帰らぬ人となった。

来歴

カレッジ

高校でチームメイトであったボー・キンブルと共にUSCへ進学したが、1年目のシーズン終了後にキンブルと共にロヨラ・メリーマウント大学へ転校。以降は頭角を現し、3年次の1988-89シーズンにはNCAAの得点王、リバウンド王に輝くなどエースとして活躍。1990年のNBAドラフトでの全体1位指名が有力視されるようになった。

心臓発作と死去

1989年12月9日のUCSB戦の試合中に、ギャザーズは突然コート上で倒れてしまう。無事ではあったものの試合後に不整脈と診断され、遮断薬のインデラルを処方された。1日あたり240mgの投与が義務付けられたが、薬の投与が自身のプレーに悪影響を与えることを嫌ったギャザーズは無断で投与量を減らしていき、遂には1日にわずか40mgしか投与しないようになった。3週間療養した後に復帰し、1990年2月3日には後にNBAで殿堂入りを果たすシャキール・オニール擁するルイジアナ州立大学と対戦。試合には敗れたもののギャザーズは48得点・13リバウンドを記録する活躍を見せた。その後WCCのトーナメントが始まる前に、毎週検査を受けることを条件に薬の投与量が減らされた。しかしギャザーズは検査に現れず、また医師からの電話を無視し続けた。3月2日に医師と面談し、トーナメント終了後に改めて検査を受けることを約束した。そしてその2日後、ポートランド大学との準決勝で悲劇が起こる。前半残り13分34秒にアリウープを決めたギャザーズだったが、その13秒後にチームメイトのエリック・スポールストラの目の前で倒れてしまう。必死に起き上がろうとしたギャザーズは駆けつけたトレーナーに対し「横になりたくない!」と叫んだが、この言葉を最後に呼吸が止まり、午後6時55分に搬送先の病院で死亡。23歳だった。ギャザーズの死を受けてWCCはトーナメントを中止し、レギュラーシーズン1位だったロヨラが自動的に優勝となることが発表された。

ギャザーズの遺体はペンシルベニア州シャロンヒルに埋葬された。死後の剖検により、心筋症にも苦しんでいたことが明らかになった。ギャザーズの家族は医師の過失を告発し訴訟を起こしたが、最終的には100万ドルで和解した。

個人成績

カレッジ

脚注

外部リンク

  • LMU Lions bio
  • ハンク・ギャザーズ - Find a Grave(英語)
  • Remembering a fallen Lion, 20 years later
  • Stan Hochman: Hank Gathers still touching friends, strangers 20 years after his death
  • Poole: Hank Gathers had heart until he died, 20 years ago Thursday
  • March 4, 1990: Hank Gathers collapses, a day I will never forget as a reporter
  • Twenty Years After: Hank Gathers Stirs Memories for His Family

Concert, Concerts

hg ギャンクリーガー ジャンク品 by メルカリ

品切れ♪【送料1,900円〜】ガス管パイプハンガーラック(アイアンハンガーラック) SUBTEXT'S CRAFT minne 国内

ハンガーを統一するのに良さそうなブランド 男のシンプルライフ

ハンガー