寺田 吉孝(てらだ よしたか、1953年2月4日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。
来歴・人物
筑紫工業高等学校では、捕手として1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、博多工に敗退。高校の1年下に鶴崎茂樹がいた。
同年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。辻佳紀、岩木康郎ら捕手陣の壁を破れず二軍暮らしが長かった。捕手としては1977年に1試合に出場したのみで、地肩の強さを活かすため外野手に転向。同年はウエスタン・リーグで首位打者を獲得、一軍でも6試合に指名打者として先発出場(うち3試合に偵察要員が使われた)を果たす。
1978年オフに神部年男・佐藤竹秀と共に、チャーリー・マニエル・永尾泰憲との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。主に代打として起用されるが、1979年には2試合に一番打者、外野手として先発。1980年11月に自由契約となり広島東洋カープに移籍。ここではあまり活躍の機会がなく、1982年限りで現役引退。
引退後は1983年から2年間、南海ホークスの二軍守備コーチに就任した。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初出場:1977年7月15日、対クラウンライターライオンズ後期1回戦(平和台球場)、2回表に石山一秀の代打として出場
- 初打席・初安打:同上、2回表に竹田和史から
- 初先発出場:1977年7月16日、対クラウンライターライオンズ後期2回戦(平和台球場)、6番・指名打者として先発出場
- 初打点:1977年8月20日、対クラウンライターライオンズ後期8回戦(日生球場)、7回裏に永射保から
- 初本塁打:1979年8月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(明治神宮野球場)、6回裏に西井哲夫の代打として出場、堀内恒夫から逆転決勝3ラン
背番号
- 56 (1971年 - 1976年)
- 40 (1977年 - 1980年)
- 38 (1981年 - 1982年)
- 74 (1983年 - 1984年)
関連項目
- 福岡県出身の人物一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 広島東洋カープの選手一覧




