ラウル・アレククンデル・チャベス・エスピノーサ(Raúl Alexander Chávez Espinoza, 1973年3月18日 - )は、ベネズエラ・カラボボ州バレンシア出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
経歴
1990年にアマチュアFAでヒューストン・アストロズと契約。
1995年のオフにトレードでモントリオール・エクスポズに移籍。
1996年8月30日にメジャーデビュー。この年は4試合に出場した。
1997年はメジャーでの出場は13試合にとどまった。
1998年5月8日にロベルト・ペレスとの交換トレードでシアトル・マリナーズに移籍したが、この年はわずか1試合の出場に終わり、1999年はメジャーに昇格できず、10月15日にFAとなった。
2000年にヒューストン・アストロズに復帰。ここでもレギュラー定着はならなかったが、2004年はブラッド・オースマスの控えとして自己最多の64試合に出場。プレーオフも4試合に出場し、アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズ第2戦では本塁打を放った。
2005年はメジャー37試合に出場。アストロズはワールドシリーズまで進出したが、自身は出場機会がなかった。
2006年3月31日にウェイバー公示を経てボルチモア・オリオールズに移籍。この年のメジャーでの出場は16試合にとどまった。オフの10月31にFAとなった。12月6日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。
2007年はメジャー昇格はなく、オフの10月29日にヤンキースをFAとなった。12月7日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ。
2008年は2年ぶりにメジャー昇格。42試合に出場したが、12月10日にパイレーツをFAとなった。12月23日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。
2009年はオープン戦で打率.348という好成績を記録したにもかかわらず、開幕はAAA級ラスベガス・フィフティワンズでのスタートなった。しかし、開幕直後にマイケル・バレットが故障したためメジャー昇格。その後はロッド・バラハスに次ぐ2番手捕手としてメジャーに定着し、51試合に出場した。
2010年はメジャー昇格の機会はなく、オフの11月6日にブルージェイズをFAとなった。
2011年1月14日にニューヨーク・メッツとマイナー契約した。この年もメジャー昇格の機会はなく11月2日にFAとなった。この年限りで現役を引退した。
引退後はベネズエラに帰国し、ベネズエラ・ウィンターリーグ(LVBP)のティグレス・デ・アラグアの技術スタッフに就任。2015年にはニカラグア・ウィンターリーグ(LBPN)のティグレス・デル・チナンデガの監督を務めた。
選手としての特徴
打撃が弱く正捕手の座を掴むには至らなかったが、肩は強く、盗塁阻止率はキャリア通算で4割を超えている。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 12(1996年 - 1997年)
- 62(1998年)
- 46(2000年 - 2005年)
- 36(2006年 - 同年途中)
- 9(2006年途中 - 同年終了)
- 37(2008年 - 同年途中)
- 63(2008年途中 - 同年終了)
- 13(2009年)
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)



