野島掩体壕(のじまえんたいごう)は神奈川県横浜市金沢区野島町の野島にあった掩体壕。遺構が現地に残されており、現存する掩体壕遺構としては日本で最大級とされる。

概要

横須賀海軍航空隊の戦闘機を空襲から退避する目的で、太平洋戦争末期に造られた。1945年(昭和20年)3月15日から6月30日までの間に、横須賀所属の第三〇〇設営隊が工事を担当した。

野島山を東西に地中をくりぬく形で建造された。長さ260 m、幅20 m、入口の高さは7 mの寸法だった。しかし1度も使用されないまま終戦となった。

現在も入口が開いているが、内部崩落の懸念があり、板とフェンスで塞がれて立ち入りが禁止されている。

2010年(平成22年)3月に、来歴を伝える説明板が入口前の現地に設置された。現地は野島公園の一部となっている。

脚注

関連項目

  • 戦争遺跡
  • 松代大本営跡
  • タチソ
  • 日吉台地下壕


野島掩体壕博物館 4年次 ギャラリー 東京電機大学 未来科学部 建築学科

野島掩体壕博物館 4年次 ギャラリー 東京電機大学 未来科学部 建築学科

旧伊藤博文金沢別邸/野島掩体壕~神奈川県横浜市金沢区~

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