橋 扈(きょう こ、生没年不詳)は、新末後漢初の武将。喬扈とも書く。雲中太守。
事績
新王朝の末期には、漢の復興を求める反乱が各所で起こった。橋扈もそれに加わった一人と考えられるが、具体的な活動は知られない。建武5年(29年)に盧芳が北辺の5郡を擁して皇帝を称したとき、橋扈は雲中太守になったらしい。建武6年(30年)、盧芳のもとで郡の太守が相次いで殺された。恐懼した橋扈(喬扈)と朔方太守田颯は、建武7年(31年)の冬に支配下の郡とともに光武帝に寝返った。光武帝は両人をもとの職にとどめおいた。その後の事は伝わらない。
脚注
参考文献
- 范曄『後漢書』。吉川忠夫訓注『後漢書』1 - 10と別冊、岩波書店、2001年から2007年。



